三毛子は死ぬ。黒は相手にならず、いささか寂寞《せきばく》の感はあるが、幸い人間に知己《ちき》が出来たのでさほど退屈とも思わぬ。せんだっては主人の許《もと》へ吾輩の写真を送ってくれと手紙で依頼した男がある。この間は岡山の名産|吉備団子《きびだんご》をわざわざ吾輩の名宛で届けてくれた人がある。だんだん人間から同情を寄せらるるに従って、己《おのれ》が猫である事はようやく忘却してくる。猫よりはいつの間《ま》にか人間の方へ接近して来たような心持になって、同族を糾合《きゅうごう》して二本足の先生と雌雄《しゆう》を決しようなどと云《い》う量見は昨今のところ毛頭《もうとう》ない。それのみか折々は吾輩もまた人間世界の一人だと思う折さえあるくらいに進化したのはたのもしい。あえて同族を軽蔑《けいべつ》する次第ではない。ただ性情の近きところに向って一身の安きを置くは勢《いきおい》のしからしむるところで、これを変心とか、軽薄とか、裏切りとか評せられてはちと迷惑する。かような言語を弄《ろう》して人を罵詈《ばり》するものに限って融通の利《き》かぬ貧乏性の男が多いようだ。こう猫の習癖を脱化して見ると三毛子や黒の事ばかり荷厄介にしている訳には行かん。やはり人間同等の気位《きぐらい》で彼等の思想、言行を評隲《ひょうしつ》したくなる。これも無理はあるまい。ただそのくらいな見識を有している吾輩をやはり一般|猫児《びょうじ》の毛の生《は》えたものくらいに思って、主人が吾輩に一言《いちごん》の挨拶もなく、吉備団子《きびだんご》をわが物顔に喰い尽したのは残念の次第である。写真もまだ撮《と》って送らぬ容子《ようす》だ。これも不平と云えば不平だが、主人は主人、吾輩は吾輩で、相互の見解が自然|異《こと》なるのは致し方もあるまい。吾輩はどこまでも人間になりすましているのだから、交際をせぬ猫の動作は、どうしてもちょいと筆に上《のぼ》りにくい。迷亭、寒月諸先生の評判だけで御免|蒙《こうむ》る事に致そう。
今日は上天気の日曜なので、主人はのそのそ書斎から出て来て、吾輩の傍《そば》へ筆硯《ふですずり》と原稿用紙を並べて腹這《はらばい》になって、しきりに何か唸《うな》っている。大方草稿を書き卸《おろ》す序開《じょびら》きとして妙な声を発するのだろうと注目していると、ややしばらくして筆太《ふでぶと》に「こういっしゅと」かいた。はてな詩になるか、俳句になるか、こういっしゅととは、主人にしては少し洒落《しゃれ》過ぎているがと思う間もなく、彼はこういっしゅとを書き放しにして、新たに行《ぎょう》を改めて「さっきから天然居士《てんねんこじ》の事をかこうと考えている」と筆を走らせた。筆はそれだけではたと留ったぎり動かない。主人は筆を持って首を捻《ひね》ったが別段名案もないものと見えて筆の穂を甞《な》めだした。唇が真黒になったと見ていると、今度はその下へちょいと丸をかいた。丸の中へ点を二つうって眼をつける。真中へ小鼻の開いた鼻をかいて、真一文字に口を横へ引張った、これでは文章でも俳句でもない。主人も自分で愛想《あいそ》が尽きたと見えて、そこそこに顔を塗り消してしまった。主人はまた行《ぎょう》を改める。彼の考によると行さえ改めれば詩か賛か語か録か何《なん》かになるだろうとただ宛《あて》もなく考えているらしい。やがて「天然居士は空間を研究し、論語を読み、焼芋《やきいも》を食い、鼻汁《はな》を垂らす人である」と言文一致体で一気呵成《いっきかせい》に書き流した、何となくごたごたした文章である。それから主人はこれを遠慮なく朗読して、いつになく「ハハハハ面白い」と笑ったが「鼻汁《はな》を垂らすのは、ちと酷《こく》だから消そう」とその句だけへ棒を引く。一本ですむところを二本引き三本引き、奇麗な併行線《へいこうせん》を描《か》く、線がほかの行《ぎょう》まで食《は》み出しても構わず引いている。線が八本並んでもあとの句が出来ないと見えて、今度は筆を捨てて髭《ひげ》を捻《ひね》って見る。文章を髭から捻り出して御覧に入れますと云う見幕《けんまく》で猛烈に捻ってはねじ上げ、ねじ下ろしているところへ、茶の間から妻君《さいくん》が出て来てぴたりと主人の鼻の先へ坐《す》わる。「あなたちょっと」と呼ぶ。「なんだ」と主人は水中で銅鑼《どら》を叩《たた》くような声を出す。返事が気に入らないと見えて妻君はまた「あなたちょっと」と出直す。「なんだよ」と今度は鼻の穴へ親指と人さし指を入れて鼻毛をぐっと抜く。「今月はちっと足りませんが……」「足りんはずはない、医者へも薬礼はすましたし、本屋へも先月払ったじゃないか。今月は余らなければならん」とすまして抜き取った鼻毛を天下の奇観のごとく眺《なが》めている。「それでもあなたが御飯を召し上らんで麺麭《パン》を御食《おた》べになったり、ジャムを御舐《おな》めになるものですから」「元来ジャムは幾缶《いくかん》舐めたのかい」「今月は八つ入《い》りましたよ」「八つ? そんなに舐めた覚えはない」「あなたばかりじゃありません、子供も舐めます」「いくら舐めたって五六円くらいなものだ」と主人は平気な顔で鼻毛を一本一本丁寧に原稿紙の上へ植付ける。肉が付いているのでぴんと針を立てたごとくに立つ。主人は思わぬ発見をして感じ入った体《てい》で、ふっと吹いて見る。粘着力《ねんちゃくりょく》が強いので決して飛ばない。「いやに頑固《がんこ》だな」と主人は一生懸命に吹く。「ジャムばかりじゃないんです、ほかに買わなけりゃ、ならない物もあります」と妻君は大《おおい》に不平な気色《けしき》を両頬に漲《みなぎ》らす。「あるかも知れないさ」と主人はまた指を突っ込んでぐいと鼻毛を抜く。赤いのや、黒いのや、種々の色が交《まじ》る中に一本真白なのがある。大に驚いた様子で穴の開《あ》くほど眺めていた主人は指の股へ挟んだまま、その鼻毛を妻君の顔の前へ出す。「あら、いやだ」と妻君は顔をしかめて、主人の手を突き戻す。「ちょっと見ろ、鼻毛の白髪《しらが》だ」と主人は大に感動した様子である。さすがの妻君も笑いながら茶の間へ這入《はい》る。経済問題は断念したらしい。主人はまた天然居士《てんねんこじ》に取り懸《かか》る。
鼻毛で妻君を追払った主人は、まずこれで安心と云わぬばかりに鼻毛を抜いては原稿をかこうと焦《あせ》る体《てい》であるがなかなか筆は動かない。「焼芋を食うも蛇足《だそく》だ、割愛《かつあい》しよう」とついにこの句も抹殺《まっさつ》する。こういっしゅともあまり唐突《とうとつ》だから已《や》めろ」と惜気もなく筆誅《ひっちゅう》する。余す所は「天然居士は空間を研究し論語を読む人である」と云う一句になってしまった。主人はこれでは何だか簡単過ぎるようだなと考えていたが、ええ面倒臭い、文章は御廃《おはい》しにして、銘だけにしろと、筆を十文字に揮《ふる》って原稿紙の上へ下手な文人画の蘭を勢よくかく。せっかくの苦心も一字残らず落第となった。それから裏を返して「空間に生れ、空間を究《きわ》め、空間に死す。空たり間たり天然居士《てんねんこじ》噫《ああ》」と意味不明な語を連《つら》ねているところへ例のごとく迷亭が這入《はい》って来る。迷亭は人の家《うち》も自分の家も同じものと心得ているのか案内も乞わず、ずかずか上ってくる、のみならず時には勝手口から飄然《ひょうぜん》と舞い込む事もある、心配、遠慮、気兼《きがね》、苦労、を生れる時どこかへ振り落した男である。
「また巨人引力かね」と立ったまま主人に聞く。「そう、いつでも巨人引力ばかり書いてはおらんさ。天然居士の墓銘を撰《せん》しているところなんだ」と大袈裟《おおげさ》な事を云う。「天然居士と云うなあやはり偶然童子のような戒名かね」と迷亭は不相変《あいかわらず》出鱈目《でたらめ》を云う。「偶然童子と云うのもあるのかい」「なに有りゃしないがまずその見当《けんとう》だろうと思っていらあね」「偶然童子と云うのは僕の知ったものじゃないようだが天然居士と云うのは、君の知ってる男だぜ」「一体だれが天然居士なんて名を付けてすましているんだい」「例の曾呂崎《そろさき》の事だ。卒業して大学院へ這入って空間論[と云う題目で研究していたが、あまり勉強し過ぎて腹膜炎で死んでしまった。曾呂崎はあれでも僕の親友なんだからな」「親友でもいいさ、決して悪いと云やしない。しかしその曾呂崎を天然居士に変化させたのは一体誰の所作《しょさ》だい」「僕さ、僕がつけてやったんだ。元来坊主のつける戒名ほど俗なものは無いからな」と天然居士はよほど雅《が》な名のように自慢する。迷亭は笑いながら「まあその墓碑銘《ぼひめい》と云う奴を見せ給え」と原稿を取り上げて「何だ……空間に生れ、空間を究《きわ》め、空間に死す。空たり間たり天然居士|噫《ああ》」と大きな声で読み上《あげ》る。「なるほどこりゃあ善《い》い、天然居士相当のところだ」主人は嬉しそうに「善いだろう」と云う。「この墓銘《ぼめい》を沢庵石《たくあんいし》へ彫《ほ》り付けて本堂の裏手へ力石《ちからいし》のように抛《ほう》り出して置くんだね。雅《が》でいいや、天然居士も浮かばれる訳だ」「僕もそうしようと思っているのさ」と主人は至極《しごく》真面目に答えたが「僕あちょっと失敬するよ、じき帰るから猫にでもからかっていてくれ給え」と迷亭の返事も待たず風然《ふうぜん》と出て行く。
計らずも迷亭先生の接待掛りを命ぜられて無愛想《ぶあいそ》な顔もしていられないから、ニャ ニャ と愛嬌《あいきょう》を振り蒔《ま》いて膝《ひざ》の上へ這《は》い上《あが》って見た。すると迷亭は「イヨ 大分《だいぶ》肥《ふと》ったな、どれ」と無作法《ぶさほう》にも吾輩の襟髪《えりがみ》を攫《つか》んで宙へ釣るす。「あと足をこうぶら下げては、鼠《ねずみ》は取れそうもない、……どうです奥さんこの猫は鼠を捕りますかね」と吾輩ばかりでは不足だと見えて、隣りの室《へや》の妻君に話しかける。「鼠どころじゃございません。御雑煮《おぞうに》を食べて踊りをおどるんですもの」と妻君は飛んだところで旧悪を暴《あば》く。吾輩は宙乗《ちゅうの》りをしながらも少々極りが悪かった。迷亭はまだ吾輩を卸《おろ》してくれない。「なるほど踊りでもおどりそうな顔だ。奥さんこの猫は油断のならない相好《そうごう》ですぜ。昔《むか》しの草双紙《くさぞうし》にある猫又《ねこまた》に似ていますよ」と勝手な事を言いながら、しきりに細君《さいくん》に話しかける。細君は迷惑そうに針仕事の手をやめて座敷へ出てくる。
「どうも御退屈様、もう帰りましょう」と茶を注《つ》ぎ易《か》えて迷亭の前へ出す。「どこへ行ったんですかね」「どこへ参るにも断わって行った事の無い男ですから分りかねますが、大方御医者へでも行ったんでしょう」「甘木さんですか、甘木さんもあんな病人に捕《つら》まっちゃ災難ですな」「へえ」と細君は挨拶のしようもないと見えて簡単な答えをする。迷亭は一向《いっこう》頓着しない。「近頃はどうです、少しは胃の加減が能《い》いんですか」「能《い》いか悪いか頓《とん》と分りません、いくら甘木さんにかかったって、あんなにジャムばかり甞《な》めては胃病の直る訳がないと思います」と細君は先刻《せんこく》の不平を暗《あん》に迷亭に洩《も》らす。「そんなにジャムを甞めるんですかまるで小供のようですね」「ジャムばかりじゃないんで、この頃は胃病の薬だとか云って大根卸《だいこおろ》しを無暗《むやみ》に甞めますので……」「驚ろいたな」と迷亭は感嘆する。「何でも大根卸《だいこおろし》の中にはジヤスタ ゼが有るとか云う話しを新聞で読んでからです」「なるほどそれでジャムの損害を償《つぐな》おうと云う趣向ですな。なかなか考えていらあハハハハ」と迷亭は細君の訴《うったえ》を聞いて大《おおい》に愉快な気色《けしき》である。「この間などは赤ん坊にまで甞めさせまして……」「ジャムをですか」「いいえ大根卸《だいこおろし》を……あなた。坊や御父様がうまいものをやるからおいでてって、――たまに小供を可愛がってくれるかと思うとそんな馬鹿な事ばかりするんです。二三日前《にさんちまえ》には中の娘を抱いて箪笥《たんす》の上へあげましてね……」「どう云う趣向がありました」と迷亭は何を聞いても趣向ずくめに解釈する。「なに趣向も何も有りゃしません、ただその上から飛び下りて見ろと云うんですわ、三つや四つの女の子ですもの、そんな御転婆《おてんば》な事が出来るはずがないです」「なるほどこりゃ趣向が無さ過ぎましたね。しかしあれで腹の中は毒のない善人ですよ」「あの上腹の中に毒があっちゃ、辛防《しんぼう》は出来ませんわ」と細君は大《おおい》に気焔《きえん》を揚げる。「まあそんなに不平を云わんでも善いでさあ。こうやって不足なくその日その日が暮らして行かれれば上《じょう》の分《ぶん》ですよ。苦沙弥君《くしゃみくん》などは道楽はせず、服装にも構わず、地味に世帯向《しょたいむ》きに出来上った人でさあ」と迷亭は柄《がら》にない説教を陽気な調子でやっている。「ところがあなた大違いで……」「何か内々でやりますかね。油断のならない世の中だからね」と飄然《ひょうぜん》とふわふわした返事をする。「ほかの道楽はないですが、無暗《むやみ》に読みもしない本ばかり買いましてね。それも善い加減に見計《みはか》らって買ってくれると善いんですけれど、勝手に丸善へ行っちゃ何冊でも取って来て、月末になると知らん顔をしているんですもの、去年の暮なんか、月々のが溜《たま》って大変困りました」「なあに書物なんか取って来るだけ取って来て構わんですよ。払いをとりに来たら今にやる今にやると云っていりゃ帰ってしまいまさあ」「それでも、そういつまでも引張る訳にも参りませんから」と妻君は憮然《ぶぜん》としている。「それじゃ、訳を話して書籍費《しょじゃくひ》を削減させるさ」「どうして、そんな言《こと》を云ったって、なかなか聞くものですか、この間などは貴様は学者の妻《さい》にも似合わん、毫《ごう》も書籍《しょじゃく》の価値を解しておらん、昔《むか》し羅馬《ロ マ》にこう云う話しがある。後学のため聞いておけと云うんです」「そりゃ面白い、どんな話しですか」迷亭は乗気になる。細君に同情を表しているというよりむしろ好奇心に駆《か》られている。「何んでも昔し羅馬《ロ マ》に樽金《たるきん》とか云う王様があって……」「樽金《たるきん》? 樽金はちと妙ですぜ」「私は唐人《とうじん》の名なんかむずかしくて覚えられませんわ。何でも七代目なんだそうです」「なるほど七代目樽金は妙ですな。ふんその七代目樽金がどうかしましたかい」「あら、あなたまで冷かしては立つ瀬がありませんわ。知っていらっしゃるなら教えて下さればいいじゃありませんか、人の悪い」と、細君は迷亭へ食って掛る。「何冷かすなんて、そんな人の悪い事をする僕じゃない。ただ七代目樽金は振《ふる》ってると思ってね……ええお待ちなさいよ羅馬《ロ マ》の七代目の王様ですね、こうっとたしかには覚えていないがタ クイン・ゼ・プラウドの事でしょう。まあ誰でもいい、その王様がどうしました」「その王様の所へ一人の女が本を九冊持って来て買ってくれないかと云ったんだそうです」「なるほど」「王様がいくらなら売るといって聞いたら大変な高い事を云うんですって、あまり高いもんだから少し負けないかと云うとその女がいきなり九冊の内の三冊を火にくべて焚《や》いてしまったそうです」「惜しい事をしましたな」「その本の内には予言か何かほかで見られない事が書いてあるんですって」「へえ 」「王様は九冊が六冊になったから少しは価《ね》も減ったろうと思って六冊でいくらだと聞くと、やはり元の通り一文も引かないそうです、それは乱暴だと云うと、その女はまた三冊をとって火にくべたそうです。王様はまだ未練があったと見えて、余った三冊をいくらで売ると聞くと、やはり九冊分のねだんをくれと云うそうです。九冊が六冊になり、六冊が三冊になっても代価は、元の通り一厘も引かない、それを引かせようとすると、残ってる三冊も火にくべるかも知れないので、王様はとうとう高い御金を出して焚《や》け余《あま》りの三冊を買ったんですって……どうだこの話しで少しは書物のありがた味《み》が分ったろう、どうだと力味《りき》むのですけれど、私にゃ何がありがたいんだか、まあ分りませんね」と細君は一家の見識を立てて迷亭の返答を促《うな》がす。さすがの迷亭も少々窮したと見えて、袂《たもと》からハンケチを出して吾輩をじゃらしていたが「しかし奥さん」と急に何か考えついたように大きな声を出す。「あんなに本を買って矢鱈《やたら》に詰め込むものだから人から少しは学者だとか何とか云われるんですよ。この間ある文学雑誌を見たら苦沙弥君《くしゃみくん》の評が出ていましたよ」「ほんとに?」と細君は向き直る。主人の評判が気にかかるのは、やはり夫婦と見える。「何とかいてあったんです」「なあに二三行ばかりですがね。苦沙弥君の文は行雲流水《こううんりゅうすい》のごとしとありましたよ」細君は少しにこにこして「それぎりですか」「その次にね――出ずるかと思えば忽《たちま》ち消え、逝《ゆ》いては長《とこしな》えに帰るを忘るとありましたよ」細君は妙な顔をして「賞《ほ》めたんでしょうか」と心元ない調子である。「まあ賞めた方でしょうな」と迷亭は済ましてハンケチを吾輩の眼の前にぶら下げる。「書物は商買道具で仕方もござんすまいが、よっぽど偏屈《へんくつ》でしてねえ」迷亭はまた別途の方面から来たなと思って「偏屈は少々偏屈ですね、学問をするものはどうせあんなですよ」と調子を合わせるような弁護をするような不即不離の妙答をする。「せんだってなどは学校から帰ってすぐわきへ出るのに着物を着換えるのが面倒だものですから、あなた外套《がいとう》も脱がないで、机へ腰を掛けて御飯を食べるのです。御膳《おぜん》を火燵櫓《こたつやぐら》の上へ乗せまして――私は御櫃《おはち》を抱《かか》えて坐っておりましたがおかしくって……」「何だかハイカラの首実検のようですな。しかしそんなところが苦沙弥君の苦沙弥君たるところで――とにかく月並《つきなみ》でない」と切《せつ》ない褒《ほ》め方をする。「月並か月並でないか女には分りませんが、なんぼ何でも、あまり乱暴ですわ」「しかし月並より好いですよ」と無暗に加勢すると細君は不満な様子で「一体、月並月並と皆さんが、よくおっしゃいますが、どんなのが月並なんです」と開き直って月並の定義を質問する、「月並ですか、月並と云うと――さようちと説明しにくいのですが……」「そんな曖昧《あいまい》なものなら月並だって好さそうなものじゃありませんか」と細君は女人《にょにん》一流の論理法で詰め寄せる。「曖昧じゃありませんよ、ちゃんと分っています、ただ説明しにくいだけの事でさあ」「何でも自分の嫌いな事を月並と云うんでしょう」と細君は我《われ》知らず穿《うが》った事を云う。迷亭もこうなると何とか月並の処置を付けなければならぬ仕儀となる。「奥さん、月並と云うのはね、まず年は二八か二九からぬと言わず語らず物思いの間《あいだ》に寝転んでいて、この日や天気晴朗とくると必ず一瓢を携えて墨堤に遊ぶ連中《れんじゅう》を云うんです」「そんな連中があるでしょうか」と細君は分らんものだから好《いい》加減な挨拶をする。「何だかごたごたして私には分りませんわ」とついに我《が》を折る。「それじゃ馬琴《ばきん》の胴へメジョオ・ペンデニスの首をつけて一二年欧州の空気で包んでおくんですね」「そうすると月並が出来るでしょうか」迷亭は返事をしないで笑っている。「何そんな手数《てすう》のかかる事をしないでも出来ます。中学校の生徒に白木屋の番頭を加えて二で割ると立派な月並が出来上ります」「そうでしょうか」と細君は首を捻《ひね》ったまま納得《なっとく》し兼ねたと云う風情《ふぜい》に見える。
「君まだいるのか」と主人はいつの間《ま》にやら帰って来て迷亭の傍《そば》へ坐《す》わる。「まだいるのかはちと酷《こく》だな、すぐ帰るから待ってい給えと言ったじゃないか」「万事あれなんですもの」と細君は迷亭を顧《かえり》みる。「今君の留守中に君の逸話を残らず聞いてしまったぜ」「女はとかく多弁でいかん、人間もこの猫くらい沈黙を守るといいがな」と主人は吾輩の頭を撫《な》でてくれる。「君は赤ん坊に大根卸《だいこおろ》しを甞《な》めさしたそうだな」「ふむ」と主人は笑ったが「赤ん坊でも近頃の赤ん坊はなかなか利口だぜ。それ以来、坊や辛《から》いのはどこと聞くときっと舌を出すから妙だ」「まるで犬に芸を仕込む気でいるから残酷だ。時に寒月《かんげつ》はもう来そうなものだな」「寒月が来るのかい」と主人は不審な顔をする。「来るんだ。午後一時までに苦沙弥《くしゃみ》の家《うち》へ来いと端書《はがき》を出しておいたから」「人の都合も聞かんで勝手な事をする男だ。寒月を呼んで何をするんだい」「なあに今日のはこっちの趣向じゃない寒月先生自身の要求さ。先生何でも理学協会で演説をするとか云うのでね。その稽古をやるから僕に聴いてくれと云うから、そりゃちょうどいい苦沙弥にも聞かしてやろうと云うのでね。そこで君の家《うち》へ呼ぶ事にしておいたのさ――なあに君はひま人だからちょうどいいやね――差支《さしつか》えなんぞある男じゃない、聞くがいいさ」と迷亭は独《ひと》りで呑み込んでいる。「物理学の演説なんか僕にゃ分らん」と主人は少々迷亭の専断《せんだん》を憤《いきどお》ったもののごとくに云う。「ところがその問題がマグネ付けられたノッズルについてなどと云う乾燥無味なものじゃないんだ。首縊りの力学と云う脱俗超凡《だつぞくちょうぼん》な演題なのだから傾聴する価値があるさ」「君は首を縊《くく》り損《そ》くなった男だから傾聴するが好いが僕なんざあ……」「歌舞伎座で悪寒《おかん》がするくらいの人間だから聞かれないと云う結論は出そうもないぜ」と例のごとく軽口を叩く。妻君はホホと笑って主人を顧《かえり》みながら次の間へ退く。主人は無言のまま吾輩の頭を撫《な》でる。この時のみは非常に丁寧な撫で方であった。
それから約七分くらいすると注文通り寒月君が来る。今日は晩に演舌《えんぜつ》をするというので例になく立派なフロックを着て、洗濯し立ての白襟《カラ 》を聳《そび》やかして、男振りを二割方上げて、「少し後《おく》れまして」と落ちつき払って、挨拶をする。「さっきから二人で大待ちに待ったところなんだ。早速願おう、なあ君」と主人を見る。主人もやむを得ず「うむ」と生返事《なまへんじ》をする。寒月君はいそがない。「コップへ水を一杯頂戴しましょう」と云う。「いよ 本式にやるのか次には拍手の請求とおいでなさるだろう」と迷亭は独りで騒ぎ立てる。寒月君は内隠《うちがく》しから草稿を取り出して徐《おもむ》ろに「稽古ですから、御遠慮なく御批評を願います」と前置をして、いよいよ演舌の御浚《おさら》いを始める。
「罪人を絞罪《こうざい》の刑に処すると云う事は重《おも》にアングロサクソン民族間に行われた方法でありまして、それより古代に溯《さかのぼ》って考えますと首縊《くびくく》りは重に自殺の方法として行われた者であります。猶太人中《ユダヤじんちゅう》に在《あ》っては罪人を石を抛《な》げつけて殺す習慣であったそうでございます。旧約全書を研究して見ますといわゆるハンギングなる語は罪人の死体を釣るして野獣または肉食鳥の餌食《えじき》とする意義と認められます。ヘロドタスの説に従って見ますと猶太人《ユダヤじん》はエジプトを去る以前から夜中《やちゅう》死骸を曝《さら》されることを痛く忌《い》み嫌ったように思われます。エジプト人は罪人の首を斬って胴だけを十字架に釘付《くぎづ》けにして夜中曝し物にしたそうで御座います。波斯人《ペルシャじん》は……」「寒月君首縊りと縁がだんだん遠くなるようだが大丈夫かい」と迷亭が口を入れる。「これから本論に這入《はい》るところですから、少々|御辛防《ごしんぼう》を願います。……さて波斯人はどうかと申しますとこれもやはり処刑には磔《はりつけ》を用いたようでございます。但し生きているうちに張付《はりつ》けに致したものか、死んでから釘を打ったものかその辺《へん》はちと分りかねます……」「そんな事は分らんでもいいさ」と主人は退屈そうに欠伸《あくび》をする。「まだいろいろ御話し致したい事もございますが、御迷惑であらっしゃいましょうから……」「あらっしゃいましょうより、いらっしゃいましょうの方が聞きいいよ、ねえ苦沙弥君《くしゃみくん》」とまた迷亭が咎《とが》め立《だて》をすると主人は「どっちでも同じ事だ」と気のない返事をする。「さていよいよ本題に入りまして弁じます」「弁じますなんか講釈師の云い草だ。演舌家はもっと上品な詞《ことば》を使って貰いたいね」と迷亭先生また交《ま》ぜ返す。「弁じますが下品なら何と云ったらいいでしょう」と寒月君は少々むっとした調子で問いかける。「迷亭のは聴いているのか、交《ま》ぜ返しているのか判然しない。寒月君そんな弥次馬《やじうま》に構わず、さっさとやるが好い」と主人はなるべく早く難関を切り抜けようとする。「むっとして弁じましたる柳かな、かね」と迷亭はあいかわらず飄然《ひょうぜん》たる事を云う。寒月は思わず吹き出す。「真に処刑として絞殺を用いましたのは、私の調べました結果によりますると、オディセ の二十二巻目に出ております。即《すなわ》ち彼《か》のテレマカスがペネロピ の十二人の侍女を絞殺するという条《くだ》りでございます。希臘語《ギリシャご》で本文を朗読しても宜《よろ》しゅうございますが、ちと衒《てら》うような気味にもなりますからやめに致します。四百六十五行から、四百七十三行を御覧になると分ります」「希臘語|云々《うんぬん》はよした方がいい、さも希臘語が出来ますと云わんばかりだ、ねえ苦沙弥君」「それは僕も賛成だ、そんな物欲しそうな事は言わん方が奥床《おくゆか》しくて好い」と主人はいつになく直ちに迷亭に加担する。両人《りょうにん》は毫《ごう》も希臘語が読めないのである。「それではこの両三句は今晩抜く事に致しまして次を弁じ――ええ申し上げます。
この絞殺を今から想像して見ますと、これを執行するに二つの方法があります。第一は、彼《か》のテレマカスがユ ミアス及びフヒリ シャスの援《たすけ》を藉《か》りて縄の一端を柱へ括《くく》りつけます。そしてその縄の所々へ結び目を穴に開けてこの穴へ女の頭を一つずつ入れておいて、片方の端《はじ》をぐいと引張って釣し上げたものと見るのです」「つまり西洋洗濯屋のシャツのように女がぶら下ったと見れば好いんだろう」「その通りで、それから第二は縄の一端を前のごとく柱へ括《くく》り付けて他の一端も始めから天井へ高く釣るのです。そしてその高い縄から何本か別の縄を下げて、それに結び目の輪になったのを付けて女の頸《くび》を入れておいて、いざと云う時に女の足台を取りはずすと云う趣向なのです」「たとえて云うと縄暖簾《なわのれん》の先へ提灯玉《ちょうちんだま》を釣したような景色《けしき》と思えば間違はあるまい」「提灯玉と云う玉は見た事がないから何とも申されませんが、もしあるとすればその辺《へん》のところかと思います。――それでこれから力学的に第一の場合は到底成立すべきものでないと云う事を証拠立てて御覧に入れます」「面白いな」と迷亭が云うと「うん面白い」と主人も一致する。
「まず女が同距離に釣られると仮定します。また一番地面に近い二人の女の首と首を繋《つな》いでいる縄はホリゾンタルと仮定します。そこでα1α2……α6を縄が地平線と形づくる角度とし、T1T2……T6を縄の各部が受ける力と見做《みな》し、T7=Xは縄のもっとも低い部分の受ける力とします。Wは勿論《もちろん》女の体重と御承知下さい。どうです御分りになりましたか」
迷亭と主人は顔を見合せて「大抵分った」と云う。但しこの大抵と云う度合は両人《りょうにん》が勝手に作ったのだから他人の場合には応用が出来ないかも知れない。「さて多角形に関する御存じの平均性理論によりますと、下《しも》のごとく十二の方程式が立ちます。T1cosα1=T2cosα2…… (1) T2cosα2=T3cosα3…… (2) ……」「方程式はそのくらいで沢山だろう」と主人は乱暴な事を云う。「実はこの式が演説の首脳なんですが」と寒月君ははなはだ残り惜し気に見える。「それじゃ首脳だけは逐《お》って伺う事にしようじゃないか」と迷亭も少々恐縮の体《てい》に見受けられる。「この式を略してしまうとせっかくの力学的研究がまるで駄目になるのですが……」「何そんな遠慮はいらんから、ずんずん略すさ……」と主人は平気で云う。「それでは仰せに従って、無理ですが略しましょう」「それがよかろう」と迷亭が妙なところで手をぱちぱちと叩く。
「それから英国へ移って論じますと、ベオウルフの中に絞首架《こうしゅか》即《すなわ》ちガルガと申す字が見えますから絞罪の刑はこの時代から行われたものに違ないと思われます。ブラクスト ンの説によるともし絞罪に処せられる罪人が、万一縄の具合で死に切れぬ時は再度《ふたたび》同様の刑罰を受くべきものだとしてありますが、妙な事にはピヤ ス・プロ マンの中には仮令《たとい》兇漢でも二度|絞《し》める法はないと云う句があるのです。まあどっちが本当か知りませんが、悪くすると一度で死ねない事が往々実例にあるので。千七百八十六年に有名なフヒツ・ゼラルドと云う悪漢を絞めた事がありました。ところが妙なはずみで一度目には台から飛び降りるときに縄が切れてしまったのです。またやり直すと今度は縄が長過ぎて足が地面へ着いたのでやはり死ねなかったのです。とうとう三返目に見物人が手伝って往生《おうじょう》さしたと云う話しです」「やれやれ」と迷亭はこんなところへくると急に元気が出る。「本当に死に損《ぞこな》いだな」と主人まで浮かれ出す。「まだ面白い事があります首を縊《くく》ると背《せい》が一寸《いっすん》ばかり延びるそうです。これはたしかに医者が計って見たのだから間違はありません」「それは新工夫だね、どうだい苦沙弥《くしゃみ》などはちと釣って貰っちゃあ、一寸延びたら人間並になるかも知れないぜ」と迷亭が主人の方を向くと、主人は案外真面目で「寒月君、一寸くらい背《せい》が延びて生き返る事があるだろうか」と聞く。「それは駄目に極《きま》っています。釣られて脊髄《せきずい》が延びるからなんで、早く云うと背が延びると云うより壊《こわ》れるんですからね」「それじゃ、まあ止《や》めよう」と主人は断念する。
演説の続きは、まだなかなか長くあって寒月君は首縊りの生理作用にまで論及するはずでいたが、迷亭が無暗に風来坊《ふうらいぼう》のような珍語を挟《はさ》むのと、主人が時々遠慮なく欠伸《あくび》をするので、ついに中途でやめて帰ってしまった。その晩は寒月君がいかなる態度で、いかなる雄弁を振《ふる》ったか遠方で起った出来事の事だから吾輩には知れよう訳がない。
二三日《にさんち》は事もなく過ぎたが、或る日の午後二時頃また迷亭先生は例のごとく空々《くうくう》として偶然童子のごとく舞い込んで来た。座に着くと、いきなり「君、越智東風《おちとうふう》の高輪事件《たかなわじけん》を聞いたかい」と旅順陥落の号外を知らせに来たほどの勢を示す。「知らん、近頃は合《あ》わんから」と主人は平生《いつも》の通り陰気である。「きょうはその東風子《とうふうし》の失策物語を御報道に及ぼうと思って忙しいところをわざわざ来たんだよ」「またそんな仰山《ぎょうさん》な事を云う、君は全体|不埒《ふらち》な男だ」「ハハハハハ不埒と云わんよりむしろ無埒《むらち》の方だろう。それだけはちょっと区別しておいて貰わんと名誉に関係するからな」「おんなし事だ」と主人は嘯《うそぶ》いている。純然たる天然居士の再来だ。「この前の日曜に東風子《とうふうし》が高輪泉岳寺《たかなわせんがくじ》に行ったんだそうだ。この寒いのによせばいいのに――第一|今時《いまどき》泉岳寺などへ参るのはさも東京を知らない、田舎者《いなかもの》のようじゃないか」「それは東風の勝手さ。君がそれを留める権利はない」「なるほど権利は正《まさ》にない。権利はどうでもいいが、あの寺内に義士遺物保存会と云う見世物があるだろう。君知ってるか」「うんにゃ」「知らない? だって泉岳寺へ行った事はあるだろう」「いいや」「ない? こりゃ驚ろいた。道理で大変東風を弁護すると思った。江戸っ子が泉岳寺を知らないのは情《なさ》けない」「知らなくても教師は務《つと》まるからな」と主人はいよいよ天然居士になる。「そりゃ好いが、その展覧場へ東風が這入《はい》って見物していると、そこへ独逸人《ドイツじん》が夫婦|連《づれ》で来たんだって。それが最初は日本語で東風に何か質問したそうだ。ところが先生例の通り独逸語が使って見たくてたまらん男だろう。そら二口三口べらべらやって見たとさ。すると存外うまく出来たんだ――あとで考えるとそれが災《わざわい》の本《もと》さね」「それからどうした」と主人はついに釣り込まれる。「独逸人が大鷹源吾《おおたかげんご》の蒔絵《まきえ》の印籠《いんろう》を見て、これを買いたいが売ってくれるだろうかと聞くんだそうだ。その時東風の返事が面白いじゃないか、日本人は清廉の君子《くんし》ばかりだから到底《とうてい》駄目だと云ったんだとさ。その辺は大分《だいぶ》景気がよかったが、それから独逸人の方では恰好《かっこう》な通弁を得たつもりでしきりに聞くそうだ」「何を?」「それがさ、何だか分るくらいなら心配はないんだが、早口で無暗《むやみ》に問い掛けるものだから少しも要領を得ないのさ。たまに分るかと思うと鳶口《とびぐち》や掛矢の事を聞かれる。西洋の鳶口や掛矢は先生何と翻訳して善いのか習った事が無いんだから弱《よ》わらあね」「もっともだ」と主人は教師の身の上に引き較《くら》べて同情を表する。「ところへ閑人《ひまじん》が物珍しそうにぽつぽつ集ってくる。仕舞《しまい》には東風と独逸人を四方から取り巻いて見物する。東風は顔を赤くしてへどもどする。初めの勢に引き易《か》えて先生大弱りの体《てい》さ」「結局どうなったんだい」「仕舞に東風が我慢出来なくなったと見えてさいならと日本語で云ってぐんぐん帰って来たそうだ、さいならに傍点]は少し変だ君の国ではさよならをさいならと云うかって聞いて見たら何やっぱりさよならですが相手が西洋人だから調和を計るために、さいならにしたんだって、東風子は苦しい時でも調和を忘れない男だと感心した」「さいならはいいが西洋人はどうした」「西洋人はあっけに取られて茫然《ぼうぜん》と見ていたそうだハハハハ面白いじゃないか」「別段面白い事もないようだ。それをわざわざ報知《しらせ》に来る君の方がよっぽど面白いぜ」と主人は巻煙草《まきたばこ》の灰を火桶《ひおけ》の中へはたき落す。折柄《おりから》格子戸のベルが飛び上るほど鳴って「御免なさい」と鋭どい女の声がする。迷亭と主人は思わず顔を見合わせて沈黙する。
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