吾輩は新年来多少有名になったので、猫ながらちょっと鼻が高く感ぜらるるのはありがたい。
元朝早々主人の許《もと》へ一枚の絵端書《えはがき》が来た。これは彼の交友某画家からの年始状であるが、上部を赤、下部を深緑《ふかみど》りで塗って、その真中に一の動物が蹲踞《うずくま》っているところをパステルで書いてある。主人は例の書斎でこの絵を、横から見たり、竪《たて》から眺めたりして、うまい色だなという。すでに一応感服したものだから、もうやめにするかと思うとやはり横から見たり、竪から見たりしている。からだを拗《ね》じ向けたり、手を延ばして年寄が三世相《さんぜそう》を見るようにしたり、または窓の方へむいて鼻の先まで持って来たりして見ている。早くやめてくれないと膝《ひざ》が揺れて険呑《けんのん》でたまらない。ようやくの事で動揺があまり劇《はげ》しくなくなったと思ったら、小さな声で一体何をかいたのだろうと云《い》う。主人は絵端書の色には感服したが、かいてある動物の正体が分らぬので、さっきから苦心をしたものと見える。そんな分らぬ絵端書かと思いながら、寝ていた眼を上品に半《なか》ば開いて、落ちつき払って見ると紛《まぎ》れもない、自分の肖像だ。主人のようにアンドレア・デル・サルトを極《き》め込んだものでもあるまいが、画家だけに形体も色彩もちゃんと整って出来ている。誰が見たって猫に相違ない。少し眼識のあるものなら、猫の中《うち》でも他《ほか》の猫じゃない吾輩である事が判然とわかるように立派に描《か》いてある。このくらい明瞭な事を分らずにかくまで苦心するかと思うと、少し人間が気の毒になる。出来る事ならその絵が吾輩であると云う事を知らしてやりたい。吾輩であると云う事はよし分らないにしても、せめて猫であるという事だけは分らしてやりたい。しかし人間というものは到底《とうてい》吾輩|猫属《ねこぞく》の言語を解し得るくらいに天の恵《めぐみ》に浴しておらん動物であるから、残念ながらそのままにしておいた。
ちょっと読者に断っておきたいが、元来人間が何ぞというと猫々と、事もなげに軽侮の口調をもって吾輩を評価する癖があるははなはだよくない。人間の糟《かす》から牛と馬が出来て、牛と馬の糞から猫が製造されたごとく考えるのは、自分の無智に心付かんで高慢な顔をする教師などにはありがちの事でもあろうが、はたから見てあまり見っともいい者じゃない。いくら猫だって、そう粗末簡便には出来ぬ。よそ目には一列一体、平等無差別、どの猫も自家固有の特色などはないようであるが、猫の社会に這入《はい》って見るとなかなか複雑なもので十人|十色《といろ》という人間界の語《ことば》はそのままここにも応用が出来るのである。目付でも、鼻付でも、毛並でも、足並でも、みんな違う。髯《ひげ》の張り具合から耳の立ち按排《あんばい》、尻尾《しっぽ》の垂れ加減に至るまで同じものは一つもない。器量、不器量、好き嫌い、粋無粋《すいぶすい》の数《かず》を悉《つ》くして千差万別と云っても差支えないくらいである。そのように判然たる区別が存しているにもかかわらず、人間の眼はただ向上とか何とかいって、空ばかり見ているものだから、吾輩の性質は無論|相貌《そうぼう》の末を識別する事すら到底出来ぬのは気の毒だ。同類相求むとは昔《むか》しからある語《ことば》だそうだがその通り、餅屋《もちや》は餅屋、猫は猫で、猫の事ならやはり猫でなくては分らぬ。いくら人間が発達したってこればかりは駄目である。いわんや実際をいうと彼等が自《みずか》ら信じているごとくえらくも何ともないのだからなおさらむずかしい。またいわんや同情に乏しい吾輩の主人のごときは、相互を残りなく解するというが愛の第一義であるということすら分らない男なのだから仕方がない。彼は性の悪い牡蠣《かき》のごとく書斎に吸い付いて、かつて外界に向って口を開《ひら》いた事がない。それで自分だけはすこぶる達観したような面構《つらがまえ》をしているのはちょっとおかしい。達観しない証拠には現に吾輩の肖像が眼の前にあるのに少しも悟った様子もなく今年は征露の第二年目だから大方熊の画《え》だろうなどと気の知れぬことをいってすましているのでもわかる。
吾輩が主人の膝《ひざ》の上で眼をねむりながらかく考えていると、やがて下女が第二の絵端書《えはがき》を持って来た。見ると活版で舶来の猫が四五|疋《ひき》ずらりと行列してペンを握ったり書物を開いたり勉強をしている。その内の一疋は席を離れて机の角で西洋の猫じゃ猫じゃを躍《おど》っている。その上に日本の墨で「吾輩は猫である」と黒々とかいて、右の側《わき》に書を読むや躍《おど》るや猫の春一日《はるひとひ》という俳句さえ認《したた》められてある。これは主人の旧門下生より来たので誰が見たって一見して意味がわかるはずであるのに、迂濶《うかつ》な主人はまだ悟らないと見えて不思議そうに首を捻《ひね》って、はてな今年は猫の年かなと独言《ひとりごと》を言った。吾輩がこれほど有名になったのを未《ま》だ気が着かずにいると見える。
ところへ下女がまた第三の端書を持ってくる。今度は絵端書ではない。恭賀新年とかいて、傍《かたわ》らに乍恐縮《きょうしゅくながら》かの猫へも宜《よろ》しく御伝声《ごでんせい》奉願上候《ねがいあげたてまつりそろ》とある。いかに迂遠《うえん》な主人でもこう明らさまに書いてあれば分るものと見えてようやく気が付いたようにフンと言いながら吾輩の顔を見た。その眼付が今までとは違って多少尊敬の意を含んでいるように思われた。今まで世間から存在を認められなかった主人が急に一個の新面目《しんめんぼく》を施こしたのも、全く吾輩の御蔭だと思えばこのくらいの眼付は至当だろうと考える。
おりから門の格子《こうし》がチリン、チリン、チリリリリンと鳴る。大方来客であろう、来客なら下女が取次に出る。吾輩は肴屋《さかなや》の梅公がくる時のほかは出ない事に極《き》めているのだから、平気で、もとのごとく主人の膝に坐っておった。すると主人は高利貸にでも飛び込まれたように不安な顔付をして玄関の方を見る。何でも年賀の客を受けて酒の相手をするのが厭らしい。人間もこのくらい偏屈《へんくつ》になれば申し分はない。そんなら早くから外出でもすればよいのにそれほどの勇気も無い。いよいよ牡蠣の根性《こんじょう》をあらわしている。しばらくすると下女が来て寒月《かんげつ》さんがおいでになりましたという。この寒月という男はやはり主人の旧門下生であったそうだが、今では学校を卒業して、何でも主人より立派になっているという話《はな》しである。この男がどういう訳か、よく主人の所へ遊びに来る。来ると自分を恋《おも》っている女が有りそうな、無さそうな、世の中が面白そうな、つまらなそうな、凄《すご》いような艶《つや》っぽいような文句ばかり並べては帰る。主人のようなしなびかけた人間を求めて、わざわざこんな話しをしに来るのからして合点《がてん》が行かぬが、あの牡蠣的《かきてき》主人がそんな談話を聞いて時々|相槌《あいづち》を打つのはなお面白い。
「しばらく御無沙汰をしました。実は去年の暮から大《おおい》に活動しているものですから、出《で》よう出ようと思っても、ついこの方角へ足が向かないので」と羽織の紐《ひも》をひねくりながら謎《なぞ》見たような事をいう。「どっちの方角へ足が向くかね」と主人は真面目な顔をして、黒木綿《くろもめん》の紋付羽織の袖口《そでぐち》を引張る。この羽織は木綿でゆきが短かい、下からべんべら者が左右へ五分くらいずつはみ出している。「エヘヘヘ少し違った方角で」と寒月君が笑う。見ると今日は前歯が一枚欠けている。「君歯をどうかしたかね」と主人は問題を転じた。「ええ実はある所で椎茸《しいたけ》を食いましてね」「何を食ったって?」「その、少し椎茸を食ったんで。椎茸の傘《かさ》を前歯で噛み切ろうとしたらぼろりと歯が欠けましたよ」「椎茸で前歯がかけるなんざ、何だか爺々臭《じじいくさ》いね。俳句にはなるかも知れないが、恋にはならんようだな」と平手で吾輩の頭を軽《かろ》く叩く。「ああその猫が例のですか、なかなか肥ってるじゃありませんか、それなら車屋の黒にだって負けそうもありませんね、立派なものだ」と寒月君は大《おおい》に吾輩を賞《ほ》める。「近頃|大分《だいぶ》大きくなったのさ」と自慢そうに頭をぽかぽかなぐる。賞められたのは得意であるが頭が少々痛い。「一昨夜もちょいと合奏会をやりましてね」と寒月君はまた話しをもとへ戻す。「どこで」「どこでもそりゃ御聞きにならんでもよいでしょう。ヴァイオリンが三|挺《ちょう》とピヤノの伴奏でなかなか面白かったです。ヴァイオリンも三挺くらいになると下手でも聞かれるものですね。二人は女で私《わたし》がその中へまじりましたが、自分でも善く弾《ひ》けたと思いました」「ふん、そしてその女というのは何者かね」と主人は羨《うらや》ましそうに問いかける。元来主人は平常|枯木寒巌《こぼくかんがん》のような顔付はしているものの実のところは決して婦人に冷淡な方ではない、かつて西洋の或る小説を読んだら、その中にある一人物が出て来て、それが大抵の婦人には必ずちょっと惚《ほ》れる。勘定をして見ると往来を通る婦人の七割弱には恋着《れんちゃく》するという事が諷刺的《ふうしてき》に書いてあったのを見て、これは真理だと感心したくらいな男である。そんな浮気な男が何故《なぜ》牡蠣的生涯を送っているかと云うのは吾輩猫などには到底《とうてい》分らない。或人は失恋のためだとも云うし、或人は胃弱のせいだとも云うし、また或人は金がなくて臆病な性質《たち》だからだとも云う。どっちにしたって明治の歴史に関係するほどな人物でもないのだから構わない。しかし寒月君の女連《おんなづ》れを羨まし気《げ》に尋ねた事だけは事実である。寒月君は面白そうに口取《くちとり》の蒲鉾《かまぼこ》を箸で挟んで半分前歯で食い切った。吾輩はまた欠けはせぬかと心配したが今度は大丈夫であった。「なに二人とも去《さ》る所の令嬢ですよ、御存じの方《かた》じゃありません」と余所余所《よそよそ》しい返事をする。「ナ ル」と主人は引張ったが「ほど」を略して考えている。寒月君はもう善《い》い加減な時分だと思ったものか「どうも好い天気ですな、御閑《おひま》ならごいっしょに散歩でもしましょうか、旅順が落ちたので市中は大変な景気ですよ」と促《うな》がして見る。主人は旅順の陥落より女連《おんなづれ》の身元を聞きたいと云う顔で、しばらく考え込んでいたがようやく決心をしたものと見えて「それじゃ出るとしよう」と思い切って立つ。やはり黒木綿の紋付羽織に、兄の紀念《かたみ》とかいう二十年来|着古《きふ》るした結城紬《ゆうきつむぎ》の綿入を着たままである。いくら結城紬が丈夫だって、こう着つづけではたまらない。所々が薄くなって日に透かして見ると裏からつぎを当てた針の目が見える。主人の服装には師走《しわす》も正月もない。ふだん着も余所《よそ》ゆきもない。出るときは懐手《ふところで》をしてぶらりと出る。ほかに着る物がないからか、有っても面倒だから着換えないのか、吾輩には分らぬ。ただしこれだけは失恋のためとも思われない。
両人《ふたり》が出て行ったあとで、吾輩はちょっと失敬して寒月君の食い切った蒲鉾《かまぼこ》の残りを頂戴《ちょうだい》した。吾輩もこの頃では普通一般の猫ではない。まず桃川如燕《ももかわじょえん》以後の猫か、グレ の金魚を偸《ぬす》んだ猫くらいの資格は充分あると思う。車屋の黒などは固《もと》より眼中にない。蒲鉾の一切《ひときれ》くらい頂戴したって人からかれこれ云われる事もなかろう。それにこの人目を忍んで間食《かんしょく》をするという癖は、何も吾等猫族に限った事ではない。うちの御三《おさん》などはよく細君の留守中に餅菓子などを失敬しては頂戴し、頂戴しては失敬している。御三ばかりじゃない現に上品な仕付《しつけ》を受けつつあると細君から吹聴《ふいちょう》せられている小児《こども》ですらこの傾向がある。四五日前のことであったが、二人の小供が馬鹿に早くから眼を覚まして、まだ主人夫婦の寝ている間に対《むか》い合うて食卓に着いた。彼等は毎朝主人の食う麺麭《パン》の幾分に、砂糖をつけて食うのが例であるが、この日はちょうど砂糖壺《さとうつぼ》が卓《たく》の上に置かれて匙《さじ》さえ添えてあった。いつものように砂糖を分配してくれるものがないので、大きい方がやがて壺の中から一匙《ひとさじ》の砂糖をすくい出して自分の皿の上へあけた。すると小さいのが姉のした通り同分量の砂糖を同方法で自分の皿の上にあけた。少《しば》らく両人《りょうにん》は睨《にら》み合っていたが、大きいのがまた匙をとって一杯をわが皿の上に加えた。小さいのもすぐ匙をとってわが分量を姉と同一にした。すると姉がまた一杯すくった。妹も負けずに一杯を附加した。姉がまた壺へ手を懸ける、妹がまた匙をとる。見ている間《ま》に一杯一杯一杯と重なって、ついには両人《ふたり》の皿には山盛の砂糖が堆《うずたか》くなって、壺の中には一匙の砂糖も余っておらんようになったとき、主人が寝ぼけ眼《まなこ》を擦《こす》りながら寝室を出て来てせっかくしゃくい出した砂糖を元のごとく壺の中へ入れてしまった。こんなところを見ると、人間は利己主義から割り出した公平という念は猫より優《まさ》っているかも知れぬが、智慧《ちえ》はかえって猫より劣っているようだ。そんなに山盛にしないうちに早く甞《な》めてしまえばいいにと思ったが、例のごとく、吾輩の言う事などは通じないのだから、気の毒ながら御櫃《おはち》の上から黙って見物していた。
寒月君と出掛けた主人はどこをどう歩行《ある》いたものか、その晩遅く帰って来て、翌日食卓に就《つ》いたのは九時頃であった。例の御櫃の上から拝見していると、主人はだまって雑煮《ぞうに》を食っている。代えては食い、代えては食う。餅の切れは小さいが、何でも六切《むきれ》か七切《ななきれ》食って、最後の一切れを椀の中へ残して、もうよそうと箸《はし》を置いた。他人がそんな我儘《わがまま》をすると、なかなか承知しないのであるが、主人の威光を振り廻わして得意なる彼は、濁った汁の中に焦《こ》げ爛《ただ》れた餅の死骸を見て平気ですましている。妻君が袋戸《ふくろど》の奥からタカジヤスタ ゼを出して卓の上に置くと、主人は「それは利《き》かないから飲まん」という。「でもあなた澱粉質《でんぷんしつ》のものには大変功能があるそうですから、召し上ったらいいでしょう」と飲ませたがる。「澱粉だろうが何だろうが駄目だよ」と頑固《がんこ》に出る。「あなたはほんとに厭《あ》きっぽい」と細君が独言《ひとりごと》のようにいう。「厭きっぽいのじゃない薬が利かんのだ」「それだってせんだってじゅうは大変によく利くよく利くとおっしゃって毎日毎日上ったじゃありませんか」「こないだうちは利いたのだよ、この頃は利かないのだよ」と対句《ついく》のような返事をする。「そんなに飲んだり止《や》めたりしちゃ、いくら功能のある薬でも利く気遣《きづか》いはありません、もう少し辛防《しんぼう》がよくなくっちゃあ胃弱なんぞはほかの病気たあ違って直らないわねえ」とお盆を持って控えた御三《おさん》を顧みる。「それは本当のところでございます。もう少し召し上ってご覧にならないと、とても善《よ》い薬か悪い薬かわかりますまい」と御三は一も二もなく細君の肩を持つ。「何でもいい、飲まんのだから飲まんのだ、女なんかに何がわかるものか、黙っていろ」「どうせ女ですわ」と細君がタカジヤスタ ゼを主人の前へ突き付けて是非|詰腹《つめばら》を切らせようとする。主人は何にも云わず立って書斎へ這入《はい》る。細君と御三は顔を見合せてにやにやと笑う。こんなときに後《あと》からくっ付いて行って膝《ひざ》の上へ乗ると、大変な目に逢《あ》わされるから、そっと庭から廻って書斎の椽側へ上《あが》って障子の隙《すき》から覗《のぞ》いて見ると、主人はエピクテタスとか云う人の本を披《ひら》いて見ておった。もしそれが平常《いつも》の通りわかるならちょっとえらいところがある。五六分するとその本を叩《たた》き付けるように机の上へ抛《ほう》り出す。大方そんな事だろうと思いながらなお注意していると、今度は日記帳を出して下《しも》のような事を書きつけた。
寒月と、根津、上野、池《いけ》の端《はた》、神田|辺《へん》を散歩。池の端の待合の前で芸者が裾模様の春着《はるぎ》をきて羽根をついていた。衣装《いしょう》は美しいが顔はすこぶるまずい。何となくうちの猫に似ていた。
何も顔のまずい例に特に吾輩を出さなくっても、よさそうなものだ。吾輩だって喜多床《きたどこ》へ行って顔さえ剃《す》って貰《もら》やあ、そんなに人間と異《ちが》ったところはありゃしない。人間はこう自惚《うぬぼ》れているから困る。
宝丹《ほうたん》の角《かど》を曲るとまた一人芸者が来た。これは背《せい》のすらりとした撫肩《なでがた》の恰好《かっこう》よく出来上った女で、着ている薄紫の衣服《きもの》も素直に着こなされて上品に見えた。白い歯を出して笑いながら「源ちゃん昨夕《ゆうべ》は――つい忙がしかったもんだから」と云った。ただしその声は旅鴉《たびがらす》のごとく皺枯《しゃが》れておったので、せっかくの風采《ふうさい》も大《おおい》に下落したように感ぜられたから、いわゆる源ちゃんなるもののいかなる人なるかを振り向いて見るも面倒になって、懐手《ふところで》のまま御成道《おなりみち》へ出た。寒月は何となくそわそわしているごとく見えた。
人間の心理ほど解《げ》し難いものはない。この主人の今の心は怒《おこ》っているのだか、浮かれているのだか、または哲人の遺書に一道《いちどう》の慰安を求めつつあるのか、ちっとも分らない。世の中を冷笑しているのか、世の中へ交《まじ》りたいのだか、くだらぬ事に肝癪《かんしゃく》を起しているのか、物外《ぶつがい》に超然《ちょうぜん》としているのだかさっぱり見当《けんとう》が付かぬ。猫などはそこへ行くと単純なものだ。食いたければ食い、寝たければ寝る、怒《おこ》るときは一生懸命に怒り、泣くときは絶体絶命に泣く。第一日記などという無用のものは決してつけない。つける必要がないからである。主人のように裏表のある人間は日記でも書いて世間に出されない自己の面目を暗室内に発揮する必要があるかも知れないが、我等|猫属《ねこぞく》に至ると行住坐臥《ぎょうじゅうざが》、行屎送尿《こうしそうにょう》ことごとく真正の日記であるから、別段そんな面倒な手数《てかず》をして、己《おの》れの真面目《しんめんもく》を保存するには及ばぬと思う。日記をつけるひまがあるなら椽側に寝ているまでの事さ。
神田の某亭で晩餐《ばんさん》を食う。久し振りで正宗を二三杯飲んだら、今朝は胃の具合が大変いい。胃弱には晩酌が一番だと思う。タカジヤスタ ゼは無論いかん。誰が何と云っても駄目だ。どうしたって利《き》かないものは利かないのだ。
無暗《むやみ》にタカジヤスタ ゼを攻撃する。独りで喧嘩をしているようだ。今朝の肝癪がちょっとここへ尾を出す。人間の日記の本色はこう云う辺《へん》に存するのかも知れない。
せんだって○○は朝飯《あさめし》を廃すると胃がよくなると云うたから二三日《にさんち》朝飯をやめて見たが腹がぐうぐう鳴るばかりで功能はない。△△は是非|香《こう》の物《もの》を断《た》てと忠告した。彼の説によるとすべて胃病の源因は漬物にある。漬物さえ断てば胃病の源を涸《か》らす訳だから本復は疑なしという論法であった。それから一週間ばかり香の物に箸《はし》を触れなかったが別段の験《げん》も見えなかったから近頃はまた食い出した。××に聞くとそれは按腹《あんぷく》揉療治《もみりょうじ》に限る。ただし普通のではゆかぬ。皆川流《みながわりゅう》という古流な揉《も》み方で一二度やらせれば大抵の胃病は根治出来る。安井息軒《やすいそっけん》も大変この按摩術《あんまじゅつ》を愛していた。坂本竜馬《さかもとりょうま》のような豪傑でも時々は治療をうけたと云うから、早速|上根岸《かみねぎし》まで出掛けて揉《も》まして見た。ところが骨を揉《も》まなければ癒《なお》らぬとか、臓腑の位置を一度|顛倒《てんとう》しなければ根治がしにくいとかいって、それはそれは残酷な揉《も》み方をやる。後で身体が綿のようになって昏睡病《こんすいびょう》にかかったような心持ちがしたので、一度で閉口してやめにした。A君は是非固形体を食うなという。それから、一日牛乳ばかり飲んで暮して見たが、この時は腸の中でどぼりどぼりと音がして大水でも出たように思われて終夜眠れなかった。B氏は横膈膜《おうかくまく》で呼吸して内臓を運動させれば自然と胃の働きが健全になる訳だから試しにやって御覧という。これも多少やったが何となく腹中《ふくちゅう》が不安で困る。それに時々思い出したように一心不乱にかかりはするものの五六分立つと忘れてしまう。忘れまいとすると横膈膜が気になって本を読む事も文章をかく事も出来ぬ。美学者の迷亭《めいてい》がこの体《てい》を見て、産気《さんけ》のついた男じゃあるまいし止《よ》すがいいと冷かしたからこの頃は廃《よ》してしまった。C先生は蕎麦《そば》を食ったらよかろうと云うから、早速かけともりをかわるがわる食ったが、これは腹が下《くだ》るばかりで何等の功能もなかった。余は年来の胃弱を直すために出来得る限りの方法を講じて見たがすべて駄目である。ただ昨夜《ゆうべ》寒月と傾けた三杯の正宗はたしかに利目《ききめ》がある。これからは毎晩二三杯ずつ飲む事にしよう。
これも決して長く続く事はあるまい。主人の心は吾輩の眼球《めだま》のように間断なく変化している。何をやっても永持《ながもち》のしない男である。その上日記の上で胃病をこんなに心配している癖に、表向は大《おおい》に痩我慢をするからおかしい。せんだってその友人で某《なにがし》という学者が尋ねて来て、一種の見地から、すべての病気は父祖の罪悪と自己の罪悪の結果にほかならないと云う議論をした。大分《だいぶ》研究したものと見えて、条理が明晰《めいせき》で秩序が整然として立派な説であった。気の毒ながらうちの主人などは到底これを反駁《はんばく》するほどの頭脳も学問もないのである。しかし自分が胃病で苦しんでいる際《さい》だから、何とかかんとか弁解をして自己の面目を保とうと思った者と見えて、「君の説は面白いが、あのカ ライルは胃弱だったぜ」とあたかもカ ライルが胃弱だから自分の胃弱も名誉であると云ったような、見当違いの挨拶をした。すると友人は「カ ライルが胃弱だって、胃弱の病人が必ずカ ライルにはなれないさ」と極《き》め付けたので主人は黙然《もくねん》としていた。かくのごとく虚栄心に富んでいるものの実際はやはり胃弱でない方がいいと見えて、今夜から晩酌を始めるなどというのはちょっと滑稽だ。考えて見ると今朝|雑煮《ぞうに》をあんなにたくさん食ったのも昨夜《ゆうべ》寒月君と正宗をひっくり返した影響かも知れない。吾輩もちょっと雑煮が食って見たくなった。
吾輩は猫ではあるが大抵のものは食う。車屋の黒のように横丁の肴屋《さかなや》まで遠征をする気力はないし、新道《しんみち》の二絃琴《にげんきん》の師匠の所《とこ》の三毛《みけ》のように贅沢《ぜいたく》は無論云える身分でない。従って存外|嫌《きらい》は少ない方だ。小供の食いこぼした麺麭《パン》も食うし、餅菓子のあんもなめる。香《こう》の物《もの》はすこぶるまずいが経験のため沢庵《たくあん》を二切ばかりやった事がある。食って見ると妙なもので、大抵のものは食える。あれは嫌《いや》だ、これは嫌だと云うのは贅沢《ぜいたく》な我儘で到底教師の家《うち》にいる猫などの口にすべきところでない。主人の話しによると仏蘭西《フランス》にバルザックという小説家があったそうだ。この男が大の贅沢《ぜいたく》屋で――もっともこれは口の贅沢屋ではない、小説家だけに文章の贅沢を尽したという事である。バルザックが或る日自分の書いている小説中の人間の名をつけようと思っていろいろつけて見たが、どうしても気に入らない。ところへ友人が遊びに来たのでいっしょに散歩に出掛けた。友人は固《もと》より何《なんに》も知らずに連れ出されたのであるが、バルザックは兼《か》ねて自分の苦心している名を目付《めつけ》ようという考えだから往来へ出ると何もしないで店先の看板ばかり見て歩行《ある》いている。ところがやはり気に入った名がない。友人を連れて無暗《むやみ》にあるく。友人は訳がわからずにくっ付いて行く。彼等はついに朝から晩まで巴理《パリ》を探険した。その帰りがけにバルザックはふとある裁縫屋の看板が目についた。見るとその看板にマ カスという名がかいてある。バルザックは手を拍《う》って「これだこれだこれに限る。マ カスは好い名じゃないか。マ カスの上へZという頭文字をつける、すると申し分《ぶん》のない名が出来る。Zでなくてはいかん。Z. Marcus は実にうまい。どうも自分で作った名はうまくつけたつもりでも何となく故意《わざ》とらしいところがあって面白くない。ようやくの事で気に入った名が出来た」と友人の迷惑はまるで忘れて、一人嬉しがったというが、小説中の人間の名前をつけるに一日《いちんち》巴理《パリ》を探険しなくてはならぬようでは随分|手数《てすう》のかかる話だ。贅沢もこのくらい出来れば結構なものだが吾輩のように牡蠣的《かきてき》主人を持つ身の上ではとてもそんな気は出ない。何でもいい、食えさえすれば、という気になるのも境遇のしからしむるところであろう。だから今|雑煮《ぞうに》が食いたくなったのも決して贅沢の結果ではない、何でも食える時に食っておこうという考から、主人の食い剰《あま》した雑煮がもしや台所に残っていはすまいかと思い出したからである。……台所へ廻って見る。
今朝見た通りの餅が、今朝見た通りの色で椀の底に膠着《こうちゃく》している。白状するが餅というものは今まで一|辺《ぺん》も口に入れた事がない。見るとうまそうにもあるし、また少しは気味《きび》がわるくもある。前足で上にかかっている菜っ葉を掻《か》き寄せる。爪を見ると餅の上皮《うわかわ》が引き掛ってねばねばする。嗅《か》いで見ると釜の底の飯を御櫃《おはち》へ移す時のような香《におい》がする。食おうかな、やめようかな、とあたりを見廻す。幸か不幸か誰もいない。御三《おさん》は暮も春も同じような顔をして羽根をついている。小供は奥座敷で「何とおっしゃる兎さん」を歌っている。食うとすれば今だ。もしこの機をはずすと来年までは餅というものの味を知らずに暮してしまわねばならぬ。吾輩はこの刹那《せつな》に猫ながら一の真理を感得した。「得難き機会はすべての動物をして、好まざる事をも敢てせしむ」吾輩は実を云うとそんなに雑煮を食いたくはないのである。否|椀底《わんてい》の様子を熟視すればするほど気味《きび》が悪くなって、食うのが厭になったのである。この時もし御三でも勝手口を開けたなら、奥の小供の足音がこちらへ近付くのを聞き得たなら、吾輩は惜気《おしげ》もなく椀を見棄てたろう、しかも雑煮の事は来年まで念頭に浮ばなかったろう。ところが誰も来ない、いくらちゅうちょしていても誰も来ない。早く食わぬか食わぬかと催促されるような心持がする。吾輩は椀の中を覗《のぞ》き込みながら、早く誰か来てくれればいいと念じた。やはり誰も来てくれない。吾輩はとうとう雑煮を食わなければならぬ。最後にからだ全体の重量を椀の底へ落すようにして、あぐりと餅の角を一寸《いっすん》ばかり食い込んだ。このくらい力を込めて食い付いたのだから、大抵なものなら噛《か》み切れる訳だが、驚いた! もうよかろうと思って歯を引こうとすると引けない。もう一|辺《ぺん》噛み直そうとすると動きがとれない。餅は魔物だなと疳《かん》づいた時はすでに遅かった。沼へでも落ちた人が足を抜こうと焦慮《あせ》るたびにぶくぶく深く沈むように、噛めば噛むほど口が重くなる、歯が動かなくなる。歯答えはあるが、歯答えがあるだけでどうしても始末をつける事が出来ない。美学者迷亭先生がかつて吾輩の主人を評して君は割り切れない男だといった事があるが、なるほどうまい事をいったものだ。この餅も主人と同じようにどうしても割り切れない。噛んでも噛んでも、三で十を割るごとく尽未来際方《じんみらいざいかた》のつく期《ご》はあるまいと思われた。この煩悶《はんもん》の際吾輩は覚えず第二の真理に逢着《ほうちゃく》した。「すべての動物は直覚的に事物の適不適を予知す」真理はすでに二つまで発明したが、餅がくっ付いているので毫《ごう》も愉快を感じない。歯が餅の肉に吸収されて、抜けるように痛い。早く食い切って逃げないと御三《おさん》が来る。小供の唱歌もやんだようだ、きっと台所へ馳《か》け出して来るに相違ない。煩悶の極《きょく》尻尾《しっぽ》をぐるぐる振って見たが何等の功能もない、耳を立てたり寝かしたりしたが駄目である。考えて見ると耳と尻尾《しっぽ》は餅と何等の関係もない。要するに振り損の、立て損の、寝かし損であると気が付いたからやめにした。ようやくの事これは前足の助けを借りて餅を払い落すに限ると考え付いた。まず右の方をあげて口の周囲を撫《な》で廻す。撫《な》でたくらいで割り切れる訳のものではない。今度は左《ひだ》りの方を伸《のば》して口を中心として急劇に円を劃《かく》して見る。そんな呪《まじな》いで魔は落ちない。辛防《しんぼう》が肝心《かんじん》だと思って左右|交《かわ》る交《がわ》るに動かしたがやはり依然として歯は餅の中にぶら下っている。ええ面倒だと両足を一度に使う。すると不思議な事にこの時だけは後足《あとあし》二本で立つ事が出来た。何だか猫でないような感じがする。猫であろうが、あるまいがこうなった日にゃあ構うものか、何でも餅の魔が落ちるまでやるべしという意気込みで無茶苦茶に顔中引っ掻《か》き廻す。前足の運動が猛烈なのでややともすると中心を失って倒れかかる。倒れかかるたびに後足で調子をとらなくてはならぬから、一つ所にいる訳にも行かんので、台所中あちら、こちらと飛んで廻る。我ながらよくこんなに器用に起《た》っていられたものだと思う。第三の真理が驀地《ばくち》に現前《げんぜん》する。「危きに臨《のぞ》めば平常なし能《あた》わざるところのものを為《な》し能う。之《これ》を天祐《てんゆう》という」幸《さいわい》に天祐を享《う》けたる吾輩が一生懸命餅の魔と戦っていると、何だか足音がして奥より人が来るような気合《けわい》である。ここで人に来られては大変だと思って、いよいよ躍起《やっき》となって台所をかけ廻る。足音はだんだん近付いてくる。ああ残念だが天祐が少し足りない。とうとう小供に見付けられた。「あら猫が御雑煮を食べて踊を踊っている」と大きな声をする。この声を第一に聞きつけたのが御三である。羽根も羽子板も打ち遣《や》って勝手から「あらまあ」と飛込んで来る。細君は縮緬《ちりめん》の紋付で「いやな猫ねえ」と仰せられる。主人さえ書斎から出て来て「この馬鹿野郎」といった。面白い面白いと云うのは小供ばかりである。そうしてみんな申し合せたようにげらげら笑っている。腹は立つ、苦しくはある、踊はやめる訳にゆかぬ、弱った。ようやく笑いがやみそうになったら、五つになる女の子が「御かあ様、猫も随分ね」といったので狂瀾《きょうらん》を既倒《きとう》に何とかするという勢でまた大変笑われた。人間の同情に乏しい実行も大分《だいぶ》見聞《けんもん》したが、この時ほど恨《うら》めしく感じた事はなかった。ついに天祐もどっかへ消え失《う》せて、在来の通り四《よ》つ這《ばい》になって、眼を白黒するの醜態を演ずるまでに閉口した。さすが見殺しにするのも気の毒と見えて「まあ餅をとってやれ」と主人が御三に命ずる。御三はもっと踊らせようじゃありませんかという眼付で細君を見る。細君は踊は見たいが、殺してまで見る気はないのでだまっている。「取ってやらんと死んでしまう、早くとってやれ」と主人は再び下女を顧《かえり》みる。御三《おさん》は御馳走を半分食べかけて夢から起された時のように、気のない顔をして餅をつかんでぐいと引く。寒月《かんげつ》君じゃないが前歯がみんな折れるかと思った。どうも痛いの痛くないのって、餅の中へ堅く食い込んでいる歯を情《なさ》け容赦もなく引張るのだからたまらない。吾輩が「すべての安楽は困苦を通過せざるべからず」と云う第四の真理を経験して、けろけろとあたりを見廻した時には、家人はすでに奥座敷へ這入《はい》ってしまっておった。
こんな失敗をした時には内にいて御三なんぞに顔を見られるのも何となくばつが悪い。いっその事気を易《か》えて新道の二絃琴《にげんきん》の御師匠さんの所《とこ》の三毛子《みけこ》でも訪問しようと台所から裏へ出た。三毛子はこの近辺で有名な美貌家《びぼうか》である。吾輩は猫には相違ないが物の情《なさ》けは一通り心得ている。うちで主人の苦《にが》い顔を見たり、御三の険突《けんつく》を食って気分が勝《すぐ》れん時は必ずこの異性の朋友《ほうゆう》の許《もと》を訪問していろいろな話をする。すると、いつの間《ま》にか心が晴々《せいせい》して今までの心配も苦労も何もかも忘れて、生れ変ったような心持になる。女性の影響というものは実に莫大《ばくだい》なものだ。杉垣の隙から、いるかなと思って見渡すと、三毛子は正月だから首輪の新しいのをして行儀よく椽側《えんがわ》に坐っている。その背中の丸さ加減が言うに言われんほど美しい。曲線の美を尽している。尻尾《しっぽ》の曲がり加減、足の折り具合、物憂《ものう》げに耳をちょいちょい振る景色《けしき》なども到底《とうてい》形容が出来ん。ことによく日の当る所に暖かそうに、品《ひん》よく控《ひか》えているものだから、身体は静粛端正の態度を有するにも関らず、天鵞毛《びろうど》を欺《あざむ》くほどの滑《なめ》らかな満身の毛は春の光りを反射して風なきにむらむらと微動するごとくに思われる。吾輩はしばらく恍惚《こうこつ》として眺《なが》めていたが、やがて我に帰ると同時に、低い声で「三毛子さん三毛子さん」といいながら前足で招いた。三毛子は「あら先生」と椽を下りる。赤い首輪につけた鈴がちゃらちゃらと鳴る。おや正月になったら鈴までつけたな、どうもいい音《ね》だと感心している間《ま》に、吾輩の傍《そば》に来て「あら先生、おめでとう」と尾を左《ひだ》りへ振る。吾等|猫属《ねこぞく》間で御互に挨拶をするときには尾を棒のごとく立てて、それを左りへぐるりと廻すのである。町内で吾輩を先生と呼んでくれるのはこの三毛子ばかりである。吾輩は前回断わった通りまだ名はないのであるが、教師の家《うち》にいるものだから三毛子だけは尊敬して先生先生といってくれる。吾輩も先生と云われて満更《まんざら》悪い心持ちもしないから、はいはいと返事をしている。「やあおめでとう、大層立派に御化粧が出来ましたね」「ええ去年の暮|御師匠《おししょう》さんに買って頂いたの、宜《い》いでしょう」とちゃらちゃら鳴らして見せる。「なるほど善い音《ね》ですな、吾輩などは生れてから、そんな立派なものは見た事がないですよ」「あらいやだ、みんなぶら下げるのよ」とまたちゃらちゃら鳴らす。「いい音《ね》でしょう、あたし嬉しいわ」とちゃらちゃらちゃらちゃら続け様に鳴らす。「あなたのうちの御師匠さんは大変あなたを可愛がっていると見えますね」と吾身に引きくらべて暗《あん》に欣羨《きんせん》の意を洩《も》らす。三毛子は無邪気なものである「ほんとよ、まるで自分の小供のようよ」とあどけなく笑う。猫だって笑わないとは限らない。人間は自分よりほかに笑えるものが無いように思っているのは間違いである。吾輩が笑うのは鼻の孔《あな》を三角にして咽喉仏《のどぼとけ》を震動させて笑うのだから人間にはわからぬはずである。「一体あなたの所《とこ》の御主人は何ですか」「あら御主人だって、妙なのね。御師匠《おししょう》さんだわ。二絃琴《にげんきん》の御師匠さんよ」「それは吾輩も知っていますがね。その御身分は何なんです。いずれ昔《むか》しは立派な方なんでしょうな」「ええ」
君を待つ間《ま》の姫小松……………
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